東高野街道A 2021年4月12日 京阪「郡津」駅から始まり、JR「星田」「東寝屋川」「忍ヶ丘」「四条畷」駅と繋いでいくわけです。脇道 (街道です) を通ることが多くて、それでよかったのですが、星田駅を通過したあたりで道を間違えました。すぐに修正できたのですが、東寝屋川駅に向かう道を見失い、ナビのお世話になってしまいました。それ以外は迷うこともなく、特に忍ケ丘駅あたりからは歩いたことがある道でした。お日柄も大変よく、ドッグウッド (ハナミズキ) 、ツツジ、フジなども咲いて、この時期に歩くことができたことに感謝したいところです。 健脚の方は八幡市から河内長野市まで3日で歩くようですが、わたしは7日で歩きました。しかも、南河内から歩き始め、中河内を挟んで、最後に八幡(京都府)から北河内を歩くことになりました。これまで適当に番号をつけてきましたが。@からFに改称することにします。今日歩いたのはAでした。東高野街道歩きは本日で終了です。 新天野川橋を渡ります。天野川といえば、明治18年の淀川大洪水の引金になったと記憶しています。 本尊掛松遺跡。融通念仏宗の法明上人にまつわる遺跡のようです。念仏踊りの始まりはここからだそうです。 星田駅の北側はかなり広い土地が造成中。 およそで田舎道にはいりましたが、どうやら合っていたようです。 「打上の弘法井戸」の案内を見逃してしまいました。 四苦八苦しながら、たどり着きました。駅名が「東寝屋川」ではなく、「寝屋川公園」に変わっていました。駅名の変更については、以前にみたことがあることと思います。調べてみると2019.3.16でした。 なお、「八幡市」駅が「岩清水八幡宮」駅に変わったのは2019.10.1でした。 高倉にある「二月堂灯籠」は天保14 (1843) 年のものです。現在でも3月のお水取りのときには東大寺二月堂に参詣するそうです。東高野街道の目印になっています。 「二月堂灯籠」から左に曲がって、ややこしそうな道を歩いてみました。 懐かしい旧国道170号線に入ります。楠正行公と共に戦い、戦死した和田賢秀公の墓。 |